雇用年限は不安定雇用を強いる最大の問題です!
会計年度任用職員制度の現在は「臨時」を除く3職種とも任用(契約)期間は1年です。
そして、公募なしに再採用される回数が5回までに制限されています。つまり、6年間しか働くことはできません。この制限を私たちは「雇用年限」と呼びます。
本来、会計年度任用職員制度の非常勤でないならばを、雇用を無期限にしても問題はないのです。また契約(任用)期間も1年が上限ではありません。会計年度任用職員制度導入前は、埼玉・越谷市の2年、東京・港区の3年などがありました。
残念ですが、これら自治体の任用制度も会計年度任用職員制度によって押しつぶされてしまいました。
「非常勤職員の活用」がきっかけ
1980年代前半まで、杉並区の非常勤職員はごく少数に限られていました。児童館で数名、学校で十数名の栄養士が、嘱託員(当時の呼称。現在の「一般」)として働いているくらいでした。この頃は1年契約ではあっても更新が繰り返され、雇用年限はありませんでした。
1985年に嘱託員に6年の雇用年限がはじめて導入されました。きっかけは行政改革の柱として、常勤職員を減らして非常勤職員に置き換える「非常勤職員の活用」が始まったためです。「非常勤職員の活用」をさらに推し進めるため、1988年には「パート制度」を創設し、3年の雇用年限が導入されました。それまで、保育園や学校などでは、本来「1年以内の臨時の職」にあてるべき「臨時職員」を何年も継続して「恒常的な業務」に従事させていました。この違法状況を改めるために、パート制度をつくり臨時職員からパート職員に切り替えました。そしてその後の業務の拡充にあわせてパート・嘱託職員を増やしてきたのです。
かつての臨職闘争の再現を恐れる
多数の非常勤職員を雇い入れるにあたって杉並区が恐れたことはかつての「臨職闘争」の再現です。
戦後まもない頃、自治体では常勤職員の「定数」が厳しく抑えられてきたため、増える一方の仕事には「定数外」とされる臨時・非常勤職員をあてることで対応してきました。東京23区でいえば学校給食・警備・学童擁護、土木作業、学童クラブ、などです。これらの臨時・非常勤職員は、常勤職員と大きくかけ離れた賃金・労働条件の改善を求め組合を結成して闘い、「正規(常勤)職員化」をかちとってきたのです。
杉並区が行革の柱としたのはこれら「正規化」した職場を再び非常勤化することでした。ですからかつてのように、「正規化」や労働条件改善の闘いが起こることのないよう、「雇用を短期で打ち切る」ことを考えたのです。
「長く働かせない」ことが目的(団結妨害、未然防止機能)
長く働いていれば仕事にも慣れ、常勤職員との労働条件の大きな落差にいやでも目が向きます。職場での発言力もつき、非常勤同士のつながりもできてきます。「労働条件を改善させよう」「組合をつくろう」という気運も生まれてきます。
このようなことを未然に防止するために「雇用を一定期間で打ち切る」、そのために雇用年限制度を導入したのです。このため働き続けたくても、雇用年限により6年で一律に全員が解雇(雇止め)になります。この雇用年限によりやめさせられる人は、毎年200~300名にものぼっていました。仕事はなくならないのに、理不尽の極みです。
組合つぶし(団結破壊)の機能と歴史
連帯労働者組合・杉並の争議経験がまさにこれを物語ります。1989年に結成し区に団交開催を申入れましたが、区は常勤・非常勤・民間労働者混在の組織形態を理由に、団交拒否にでてきました。そこからが長い闘いの始まり。
現場での要求行動に並行して労働委員会での闘いを駆使して、団交を獲得したのは約10年後。そのときには結成時の非常勤の仲間は全員雇用年限で区を追われていたのです。
雇用年限はモノ言う労働者を排除し、労働組合を解体することさえできる不当労働行為そのものの制度なのです。
公募・再採用の問題
この問題は、雇用年限との闘いの現時点での到達点です。下記の記事をご覧ください。